Interview vol.1 - Yuki Imamura & Ken Isono
Sumu Yakushimaにさまざまな視点で携わる人びとにインタビュー。
第1回は、プロジェクトの中心人物である、モスガイドクラブ/モスオーシャンハウス代表の今村祐樹さんと自然電力株式会社 代表取締役の磯野謙さんのお二人に、Sumu Yakushimaの誕生秘話と、その想いをきいた。
―まず、お二人の屋久島とのこれまでのかかわり方を教えてください。
今村:僕の自己紹介でいうと、18年前に大阪から屋久島に来て、仲間とともにモスガイドクラブというツアー会社を作りました。その数年後に現在のモスオーシャンハウスが建つ場所に出会って、それからここをベースにしたガイドプログラムと宿泊事業に携わっています。最近は周辺の土地を利用したフィールド研修のプログラム等も行っています。
磯野:僕は大学生の時に世界中をバックパックで旅していたのですが、よくよく考えたら日本を全然旅してないことに気づいて、2004年、社会人になって最初の夏休みにパックツアーで屋久島を訪れたんです。そのとき、台風が来て帰れなくなり、延泊をすることに。ただ、一人で食事をするのもつまらないと思って、ツアーでガイドをしてくれたおじさんが面白い方だったので電話をしたんです。そうしたら一緒に家で飲もうみたいな話になって、訪ねた先がモスがやっていたモスハウスというゲストハウスでした。そこで今村さんをはじめモスのメンバーに出会ったんです。そこから人生が変わり始めましたね。
―磯野さんはもともとサラリーマンとして広告業に従事されていたんですよね。現在、自然電力の会社を経営されていますが、それも屋久島との出合いがきっかけということでしょうか。
磯野:まさにそうです。屋久島を訪れたことで環境問題や社会の問題に気づいてしまったんです。現実として、自分が生きていくためには働かなくてはいけない。でも当時は、そんな社会の課題を解決できるような仕事、そういった実感をもてる仕事がなかった。ちょうどエコツーリズムという言葉が使われ始めた頃でしたが、自然を守れるとか、きちんと向き合えるような仕事って、実は観光のようなやり方もあるのではと思ったんです。それから3カ月に1度ほど屋久島に通うようになりました。ある意味現実逃避ではありましたが、モスのメンバーと屋久島で何かできないかという話をしたり、彼らにはない部分で、僕ができるようなことを僕なりにお手伝いするみたいなことを2年くらい続けていました。
―今村さんは以前は自然ガイドとして縄文杉の森を年間で300日ほど案内するような生活を送っていたとお聞きしました。徐々に、屋久島でのご自身の役割というか、考え方に変化はありましたか? また、磯野さんは2年の間に屋久島との向き合い方が変わってきたのでしょうか。
今村:そうですね。当初はやはり屋久杉に代表されるような豊かな自然に魅力を感じていましたが、自然とともにある里山の人びとの暮らしにも感心をもつようになって、もっと全体性をもって伝えていくことが大切だと考えるようになりました。それで、人が訪れることで屋久島のフィールドがより良くなるようなアイデアはないだろうかとずっと考えていました。オーバーツーリズムの話につながるのですが、自然と人を繋ぎたいけど、自分たちの仕事が自然を壊してしまう可能性があるので、それは本当にやりたいこととは違うなぁと。
磯野:僕としては、屋久島で何かをしたいというよりは、地球の自然環境がテーマだったので、環境問題を解決できる何かを屋久島でするというイメージでしょうか。その手段がエコツーリズムみたいなことかなと思っていました。とはいっても僕がガイドをできるわけではなかったので、何かいい方法はないだろうかと考えていた時に、今の場所(モスオーシャンハウス、Sumu Yakushimaの敷地)が出てきたんです。そこを購入して、理想の場所というか、サステナビリティを考えましょうと提案できるような宿を作って、これをいろんなところに転換していきたいねといった話になりました。2006年のことです。
―15年前にすでにSumuプロジェクトの根幹につながるような構想があったんですね。磯野さんは環境問題を解決するための方法として、2011年に自然電力株式会社を設立されていますね。
磯野:屋久島に人を呼べば呼ぶほど環境負荷がかかる。そういうこともわかって、原点としては観光ではダメだと思ったんです。屋久島は自然エネルギー100%の島なので、気持ちを動かすのではなく、社会の仕組みそのものを変えてしまうしかないと。それでソーシャルインパクトとファイナンシャルインパクトを大きくできるものはなんだろうと考えたとき、一番大きなものがエネルギーだったので、たまたま知り合った風力発電関係の会社でアルバイトをしていたんです。そうしたら2011年がきて、日本には再生可能エネルギーが必要なことを確信し、会社を始めました。
―今村さんはモスガイドクラブとしては、近年はどのような活動をされていたのでしょうか。
今村:都市生活で疲れた人が屋久島へ来て元気になって帰っていくのですが、社会は変わらないですよね。屋久島でガイドをして、宿泊施設も運営してきたのですが、あんまり建設的な場になり得てないなぁと感じていました。だから、ここに来ることによって面白い暮らしが生まれていくとか、屋久島から新しいライフスタイルを提案できないか、みたいなテーマがずっとありました。それで3〜4年ほど前から、周辺の流域を調査したりコミュニティとのつながりを考えるようになって、水の循環や里の風景づくりなどをテーマにした参加型プログラムや、企業研修や教育目的のプログラムを作るなどして、長期滞在型の新しい観光スタイルを模索していました。
―Sumuプロジェクトが本格的に動きはじめたのは、コロナの影響が大きいそうですね。当初は家族や友人が集える別荘のような場所にする、というアイデアも出ていたとききましたが、最終的に、外に開けたサブスク式の長期滞在施設になったのはどういった経緯からでしょうか。
磯野:ちょうど僕と今回Sumu Yakushimaの設計を担当した小野さんが、コロナが流行する前の2020年3月に休暇で屋久島に来ていたんですね。ところが滞在中に緊急事態宣言が出たことで、滞在を延期したんです。結局半年間ほど屋久島で過ごすことになったのですが、そのときに、15年以上前に思い描いていた、綺麗な場所とか好きな場所で働きながら社会的にインパクトを出す、というライフスタイルみたいなものを、今の自然電力で実現しなければいけないかもしれないと思い始めたんですよ。
今村:4月は毎日のように磯野さんと小野さんとモスに集まってミーティングしましたね。以前からこの敷地の利用方法は検討していて、当初はモスのリニューアルの一環という発想もあったので、アイディアを全員で出し合ったんです。このディスカッションによって、屋久島に来る人たちが社会を変えていくための学びの場ができたら、自分たちが求めている方向に進むだろうということが見えてきました。堰を切ったようにいろんなものが繋がってきました。
磯野:今後は働き方も観光のあり方も変わって、サービス業が劇的に変化するだろうと考えました。僕は以前は年間200日ぐらい飛行機に乗っていたのですが、そういったこともなくなって、ひとつの場所にもう少し地に足をつけるような生活になるのではと。仕事の仕方もそうですが、観光でも、一泊二日の短期の過ごし方ではなく、会員制のサービスのようなものになっていくだろうと。だから、別荘というか、長期滞在できる場所を屋久島に実験的に作ろうと思ったんですね。
―それぞれ立場は異なりますが、屋久島を訪れる人びとの意識を変え、暮らしや社会を変え、地球環境を守るためにお二人が活動されていることがわかりました。最後にSumu Yakushimaを通して伝えていきたいこと、どんな場所にしていきたいかを教えてください。
磯野:今回のコロナは、もともとあった社会の歪みが大きくなって顕在化したと思うんです。それは大きな話でいうと、中国とアメリカの外交問題から、天然ガスが来ないというエネルギーの問題も起きているということ。マクロな話でいうと、例えば核家族の問題。コロナによって保育園に行かせられず、ひとつの家族で子供たちの面倒をすべてみなければいけないというのは、とても厳しい環境ですよね。さらに医療や教育の問題もそう。みんなが見て見ぬふりしてきた社会のさまざまな課題が顕在化したのがコロナで、そこに対してのソリューションを誰が早く作るかということが大事になっていると感じます。だから僕らが屋久島で新しい生き方、モデルケースを作っていけたらいいなと思っています。
今村:僕としては、長年の課題でもあるのですが「縄文杉がすごいんじゃなくて、縄文杉を支えている生態系のシステムがすごい」ということを屋久島から発信していきたいです。1000年生きている杉がリアルにあって、それを生かしている仕組みを僕たちが知ることが、持続するってどういうことなのかとか、これからの社会のヒントにもなるんじゃないかと思っています。僕の答えとしては屋久島の水のめぐりと繋がりが、縄文杉が生き続けられる環境を作っているので、その価値観を体験してもらえるような場所にしたいですね。
あとは、Sumu Yakushimaのある高平集落の皆さんが今まで大切にしてきた美しい風景を引き継いでいきたい。どうしたらもっと地域の役に立てるか、さらにいえば、この場所から地球にどういった貢献ができるのかということは大事に考えています。Sumuがあることで風景が綺麗に育つようにしたいし、未来を生きる人とも美しい風景を共有していきたいです。
今村祐樹
Yuki Imamura
モスガイドクラブ代表
1978年大阪府生まれ。2002年に屋久島へ移住。五感を使った自然体験と、自然の摂理・循環を意識したストリー性のあるガイドに定評がある。屋久島の里地に失われた森を再生することを目標に掲げ、既に具体的な活動に着手している。https://www.moss6.com
磯野謙
Ken Isono
自然電力株式会社 代表取締役
1981年長野県生まれ。米国ロサンゼルスで育つ。2004年屋久島を初訪問し、今村とモスオーシャンハウスを運営開始。2011年6月、東日本大震災を機に自然電力株式会社を設立。